【訃報】前田武彦さん急死!!「夜のヒット-」「ゲバゲバ-」など新しい司会者像を確立…
(08/06)
人気番組「夜のヒットスタジオ」の司会を務め"マエタケ"の愛称で親しまれた放送作家でタレントの前田武彦さん(まえだたけひこ)が5日午前11時16分、肺炎のため都内の病院で死去した。82歳だった。
葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日お別れの会の開催を検討しているという。
所属事務所によると、前田さんは7月28日に腸の不調を訴え病院で診察を受け、入院加療していた。数日前までは元気な様子も見せていたが、持病の糖尿病も悪化。合併症を併発し、そのまま帰らぬ人となった。
前田さんは東京都出身。立教大学中退後の53年、テレビ開局直後のNHKの「こどもの時間」の放送作家として"テレビマン人生"をスタート。
61年に始まった日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の脚本を手がけ、故青島幸男さんや永六輔氏(78)ら放送作家と親交を深めた。
60年代後半からは司会業に進出。脚本通り進行するだけでなく、フリートークをまぜる新しい司会者像を作り、68年に始まったフジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」の初代司会者を芳村真理(76)と担当。
持ち前の毒舌で、若手歌手を泣かしたこともあった。翌69年に「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」をスタートさせ、大橋巨泉(77)とコントを披露するなど人気者になった。
「夜のヒットスタジオ」で当時プロデューサーだった疋田拓氏(68)は「台本に頼らず、ほとんどアドリブだった。その場の雰囲気を瞬時に判断し生番組を仕切っていた。博識な方でした」と振り返った。
前田さんと一緒に「夜のヒットスタジオ」の初代司会を務め「なまずのおばさん」と名を付けられた芳村真理(76)は番組の司会を受ける際、「マエタケさんがやるなら、喜んで司会をやります!と言い、前田さんも同じことを言ってくださって番組がスタートした」との秘話を明かした。(松野)
葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日お別れの会の開催を検討しているという。
所属事務所によると、前田さんは7月28日に腸の不調を訴え病院で診察を受け、入院加療していた。数日前までは元気な様子も見せていたが、持病の糖尿病も悪化。合併症を併発し、そのまま帰らぬ人となった。
前田さんは東京都出身。立教大学中退後の53年、テレビ開局直後のNHKの「こどもの時間」の放送作家として"テレビマン人生"をスタート。
61年に始まった日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の脚本を手がけ、故青島幸男さんや永六輔氏(78)ら放送作家と親交を深めた。
60年代後半からは司会業に進出。脚本通り進行するだけでなく、フリートークをまぜる新しい司会者像を作り、68年に始まったフジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」の初代司会者を芳村真理(76)と担当。
持ち前の毒舌で、若手歌手を泣かしたこともあった。翌69年に「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」をスタートさせ、大橋巨泉(77)とコントを披露するなど人気者になった。
「夜のヒットスタジオ」で当時プロデューサーだった疋田拓氏(68)は「台本に頼らず、ほとんどアドリブだった。その場の雰囲気を瞬時に判断し生番組を仕切っていた。博識な方でした」と振り返った。
前田さんと一緒に「夜のヒットスタジオ」の初代司会を務め「なまずのおばさん」と名を付けられた芳村真理(76)は番組の司会を受ける際、「マエタケさんがやるなら、喜んで司会をやります!と言い、前田さんも同じことを言ってくださって番組がスタートした」との秘話を明かした。(松野)
関連ニュース
【訃報】松田直樹が搬送先の病院で死去 最後まで意識戻らず・・・【訃報】元ヤンキースの伊良部秀輝がロスで死去 米当局は自殺と断定
【訃報】「ガキ使」の名物おばちゃん・三城晃子が死去 事務所にも病状明かさず・・・
【訃報】ヴィジュアル系バンド「Kagrra,」の一志が急逝 死亡当日にブログ更新
注目ワード
【人物】前田武彦
【キーワード】
訃報 前田武彦 青島幸男 永六輔 芳村真理 放送作家 前田 司会 人気 病院 放送 作家 ヒット
【ニュースカテゴリ】
出産 破局 離婚 エンタメ 失言 ジャニーズ 熱愛 結婚 妊娠 不祥事 暴言
最新エンタメニュース
サイトのご案内へ
無制限99円 取り放題[TOP]
JASRAC許諾番号
6834131007Y41011
Blau
6834131007Y41011
Blau